藤本義一先生は、去る十月三十日肺炎のため逝去されました。
弊社社員一同ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、謹んで哀悼の意を表します。
藤本義一さんといえば、関西を代表するアクティヴな言葉の達人です。大阪の堺市に生まれ、大学在学中に書いたシナリオ「つばくろの歌」が芸術祭文部大臣賞を受賞したのを機に、ラジオ・テレビドラマ、映画、舞台の脚本を数多く手がけ、放送文化のみならず、広く映像文化や舞台芸術の分野でも活躍されてきました。また、深夜のテレビ番組11PMの司会を四半世紀に渡って務められる間、文芸作品にも才を発揮し、落語家の芸人魂を描いた小説「鬼の詩」で直木賞を受賞。上方の芸人や商人、職人を生き生きと描いた人間ドラマをテーマに数々の小説、随筆、評論を著され、多くのファンを魅了してこられました。
テレビ画面に映る藤本さんは、鋭い眼光とやわらかな白髪が印象的です。どんな話題であれ、含蓄のあるコメントをユーモアで包み、独特の藤本節と呼ぶしかない語り口でもって、和やかな雰囲気の中にも聞く人の心にずんと響く言葉を放たれます。一見華やかな映画やテレビの世界で、長年その表も裏も見通してこられた藤本さんならではの深みが、その言葉には籠もっています。職人を祖父に、商人を父にもち、戦後の混乱期を生き抜いてきた大阪の下町の人々の人生哲学と、マスメディアの揺籃期から爛熟期まで深く関わってこられた藤本さん自身の人間洞察が、あたたかみを帯びたメッセージを生み出すのでしょう。
1995年1月17日、藤本さんを大きな衝撃が襲いました。阪神淡路大震災です。西宮市の自宅で就寝中、激震に遭い、洋ダンスの下敷きになりながらとっさに身をかわして、タンスの金具と書棚のガラス戸のわずか数センチの狭間に命を拾います。「それまでは"生キテイル"という漠然たるものだったが、これが一転して"生カサレテイル"というものになった」とは、藤本さん自身の言葉です(『人生の賞味期限』岩波書店2001)。震災体験は藤本さんの中で生命体験となり、そこから新たな衝動が生まれました。震災で親を亡くした子どもたちのための心のケアハウス作りです。

藤本さんはじめ多くの人々の尽力によって建設されたその施設は、芦屋市の潮の匂いがいっぱいの地に、ベンガラ色も明るい二階建てのログハウス「浜風の家」として開設されました。震災から四年目の1999年のことです。以来、この施設は、社会福祉法人のぞみ会の児童館として地域の子どもたちにも開かれ、震災遺児だけでなく、今では不登校の子どもたちの心のよりどころにもなっています。長年、一貫して地に足のついた人間を愛し、そのいとおしさを描かずにはいられなかった藤本さんは、大地に激しく揺さぶられる経験を通して、今、大地に根ざした人間形成の大切さを訴えつづけています。
そんな藤本さんがごく最近、画家でイラストレーターである愛娘芽子さんとジョイントで、みずから描いた墨彩の展覧会を大阪で開催しました。藤本さんの書は一目見て忘れがたい印象を心に残します。
選ばれた言葉の磨き抜かれたセンスもさることながら、筆は左右に悠々と広がり、一文字一文字にまろやかな地平線が感じられます。文字の流れはどこまでも自由であって、しかも、ぶれることのない軸が通っています。舞台でいえば、上手から下手へ、一瞬のドラマが駆け抜けるようです。すでに日本各地に多くの碑銘や額等を書き記しておられるのも納得の書です。まさに、大地で生きる人間の命が動いています。
 
藤本義一 profile
1933年大阪府堺市生まれ。大阪府立大学経済学部卒。57年大学在学中に書いたシナリオ「つばくろの歌」で芸術祭戯曲部門文部大臣賞受賞。以後、ラジオ、テレビのドラマのシナリオ、映画・舞台の脚本など三千作以上を書く。66年からテレビ番組「11PM」の司会を務め人気を博す(最終回の90年まで25年間)。74年上方落語家の人生を描いた「鬼の詩」で直木賞受賞。小説、随筆、評論など旺盛な執筆活動の他、テレビ、ラジオのキャスター、コメンテーターとしても活躍。阪神淡路大震災の体験から、震災遺児のための心のケアハウス建設に尽力。96年社会福祉法人のぞみ会の理事長就任、99年芦屋市に「浜風の家」を開設。地域に根ざしたコミュニティ作りの中で文化、教育、人間を探求しつづけている。
藤本義一さんへの制作見積りなどお気軽にお問い合わせください。
筆文字なび」では、書家と第一線で活躍するグラフィックデザイナーとのパートナーシップにより、個性溢れる書に機能美を加え、ロゴとして完成させる万全のシステムを備えております。
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